中央ヨーロッパ世界遺産 - スロバキア
バンスカー・シュティアヴニツァ
スロバキアは日本の7分の1ほどの面積を持つ国です。
9世紀には大モラヴィア国の一部でしたが、10世紀に大モラビア国が滅亡すると,ハンガリー王国に支配されます。
後世、オーストリアのハプスブルグ家に統治され、第一次世界大戦で、オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊すると、チェコスロバキアとして、独立を果たしました。 現在はチェコとの連邦制も平和李裏に解消され、スロバキア共和国として、独立国家を運営しています。

~静かなる夢の跡地の世界遺産~
静寂の「世界遺産」と呼ばれるバンスカー・シュティアヴニツァは、東西に細長い国土を持つスロバキアの、中央部からやや南よりに位置します。
人口1万人程度の、緑に囲まれた眠るように静かな街です。
周囲は小高い山々に囲まれ、かつてはここで金銀の採掘が盛んで、鉱山都市として栄華を誇った街であること等、忘れてしまいそうなほどの静けさです。
この街が鉱山の街として文献に出てくるのは、1156年の事です。
最盛期である18世紀には、当時のハンガリー王国最大の鉱山都市として、繁栄を極めました。
1790年から1863年の間に金は11トン、銀は490トンも採掘されたと言います。 1735年にはハンガリー王国最古の鉱山学校が設立され、ハプスブルグの女帝、マリア・テレジアは鉱山アカデミーに昇格させました。
18世紀末にはハンガリーで3番目の都市にまで人口が増えましたが、19世紀になって鉱山業が廃れると、人々は街を離れて行き、街は徐々に衰退していきました。
けれども、かつての栄華を極めた時代の街の優美さは残存し、うら寂しいノスタルジーを纏いながらも、美しい姿で今尚たたずんでいます。
観光客でごった返すような、興覚めする騒々しさとは別世界の街、世界遺産のバンスカー・シュティアヴニツァにはどこまでも澄み渡るような空気があり、幻想的な雰囲気の街並みを見ながら坂道をゆっくり散策したくなる、そんな落ち着いた気分にさせてくれる魅力に満ちています。
実はこの世界遺産のバンスカー・シュティアヴニツァは、秋田県小坂町と協力協定を結び交流を暖めています。
鉱山都市としての生い立ちを共有する二つの街は、文化遺産の保護や観光、廃棄物資源のリサイクル等において協力していくことを確認しています。
最古の部分は13世紀のロマネスク様式の聖母教会が母体になっている、貴重な旧城や、16世紀にオスマントルコの侵攻を睨んで建てられた要塞新城、2キロに渡る地下の坑道を見学できる鉱山博物館など、観光資源も豊富です。
騒々しい喧騒に背を向けて、本当のヨーロッパを訪れてみたくなった時、この静寂の「世界遺産」は格好の目的地となることでしょう。