アフリカ世界遺産 - モーリシャス

アープラヴァシ・ガート

アフリカ大陸のマダガスカルの東方に浮かぶ島国、モーリシャスは大航海時代以降、領有する国がめまぐるしく変わりました。
1814年にイギリス領となり、サトウキビやお茶の栽培が盛んに行われる様になりました。 かつてはイギリスも黒人奴隷を使っていたのですが、1835年に奴隷制度を廃止したため、農業に従事する労働力を受け入れる必要が出てきました。
そこで1834年以降、主にイギリスの植民地であったインドからの労働者を受け入れることとしました。 この移民受け入れに用いられた施設がアープラヴァシ・ガートです。

~インド人たちが契約移民労働で渡航した場所~

現在のモーリシャスの首都ポートルイスの近くです。 ここから隣のレユニオン島、オーストラリアへも労働力としてインド人が送り込まれました。受け入れたインド人の総数は、約45万人と推定されています。

当初、インド人労働者はクーリーと呼ばれていたため、受け入れ施設はクーリー・ガットと呼ばれていましたが、クーリーは差別的な意味合いがあるとして、インド人がよく用いていたヒンディ語で「移民の駅」という意味を持つ、アープラヴァシ・ガートに名が改められました。

イギリスの植民地支配を受けていたとはいえ、インド人は奴隷としてやってきたのではありません。「契約移民労働」という考え方に基づいて連れて来られました。
そしてプランテーション経済のさきがけとなる取り組みがなされました。

モーリシャスには石造りの建造物が現存していて、船をつける波止場、入口の門や、一時的に滞在するための施設、馬小屋などが今でも残っています。 最大時には1000人もの労働者が滞在出来るほどに施設の規模が拡大していました。

現在世界遺産でもあるアープラヴァシ・ガートが使われたのは第一次大戦の直前の1910年までです。その後は高速道路の建設などで倒壊していきました。

1970年にインドの首相、インディラ・ガンジーがこの地を訪れた事がきっかけとなり、かつての施設の保護に向かって国が動き出しました。 そして復旧工事が1990年代に始められる様になりました。

復旧工事に際しても、1860年代の外観を復元する様に、現在の材料ではなく当時のものと同じ材料を用いて慎重になされています。 「契約移民労働」が世界に先駆けた取り組みであり、その実態を記した施設と言う事で、2006年に文化遺産として世界遺産に登録されました。

ただ、登録に際しては隣の仏領レユニオンでも同様の申請があった事などから、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)が異を唱えていた様で、すんなりと世界遺産登録に至った訳ではありませんでした。

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