アフリカ世界遺産 - ガーボベルデ
リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャ
ヨーロッパからアジアを目指そうとした大航海時代には、アフリカ大陸の沿岸だけでなくその周辺の島にも冒険家たちは立ち寄っています。 その中の島国の一つがガーボベルデです。

ポルトガル人が15世紀に訪れた時は無人島で、入植が始まります。
ポルトガル人は西アフリカから奴隷を連れてきて砂糖を生産しようとしたのですが、サハラ砂漠と同じ緯度にある様に小雨のために失敗します。 その後、ポルトガル船の寄港地となりました。
ポルトガル船の寄港地として栄えたのが、世界遺産となっているリベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャです。 最古の居住地で、かつては首都でした。
悲しい歴史ですが、アフリカ大陸から中南米に奴隷を運ぶ際の中継地点となっていました。 ただヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスも立ち寄るなど、大航海でも重要な拠点となっていました。
現在カーボベルデの世界遺産、リベイラ・グランデの歴史地区シダーデ・ヴェーリャには奴隷貿易の名残となる史跡が残っています。
たとえば、罪人をさらし者にするさらし台の円柱が大広場の中央にあり、建てられて500年近くを経ています。
また貿易の重要な拠点であるという事は、貴重なものを積んだ船が多く往来することもあり、海賊に狙われるおそれがありました。
そこで海抜120mのところに1590年にレアル・デ・サン・フィリペ要塞が建設されています。
このカーボベルデの要塞は海賊のみならず、貿易の競争相手であったフランスやイングランドからポルトガル人と土地を守る事も目的としていました。
ただ、1585年にはイングランドのサー・フランシス・ドレイクに略奪され、さらに1712年にはフランスの海賊の略奪に遭ってしまいます。
シダーデ・ヴェーリャは長らく首都でしたが、1770年に15kmほど離れたプライアに首都が移転しました。
また干ばつや飢餓、さらには奴隷貿易の衰退により徐々に繁栄から遠ざかっていきます。 補給港としての重要性は、船による航海が主だった時代にはまだまだ残っていましたが、19世紀には農業での生活が苦しくなった人々の海外移住が始まってしまいます。
現在、カーボベルデは農業、漁業が主な産業であり、手つかずの自然が数多く残されています。
また、現在カーボベルデでは船ではなく飛行機で訪れる事が出来る様になっています。 世界遺産の他にも、19世紀のポルトガル人行政官の公邸をそのまま使った大統領宮殿など、歴史的建造物が数多く残っています。
大航海時代のヨーロッパ、アフリカの歴史・世界遺産を深く学びたい人にはお薦めの場所と言えるでしょう。