西・中央アジア世界遺産 - イスラエル
アッコ旧市街
「アッコ旧市街」はイスラエル北部、西ガリラヤ地方にある世界遺産です。アッコは地中海に面しており、かつて地中海貿易で栄えた港都でした。オスマン帝国時代や十字軍時代の遺跡が残されています。2001年にユネスコの世界遺産に登録されました。

「アッコ旧市街」はもともとはアラブ人の都市でしたが、優れた貿易都市の宿命として周囲の強国に狙われ支配されることになりました。まずは1104年、第1回十字軍の手によって街を占拠されます。その後、いったんはアイユーブ朝の英雄サラディンによってアラブ人が街を奪還しますが、第3回十字軍の侵攻により再び十字軍に支配されることになります。
1291年になると、アラブ人のマルムーク朝が十字軍を破り街を陥落させますが、1517年にマルムーク朝が滅びると今度はオスマン帝国の手に渡ります。それ以後、第一次世界大戦でイギリス領になるまで中断を挟みながらもオスマン帝国の支配が続きました。
現在の「アッコ旧市街」の街並みの大部分はオスマン帝国時代に形作られたものです。旧市街の中心部は地中海に突き出すように広がっており、城壁によって囲われています。歴史ある街並み自体が見所と言えますが、強いて観光スポットをあげれば“ジャーマ・アル・ジャッザール”と呼ばれるモスクがあります。1781年に当時の総督の命で建造されたもので、緑色のドームを持ち、内部も大理石を用いた上品で美しい内装になっています。
このように、「アッコ旧市街」の地上にはオスマン帝国時代の建造物が残されているのですが、驚くべきことに近年になって地下に十字軍時代の大規模な遺跡が発見されました。まさしく地下都市と呼ぶにふさわしい巨大な地下構造は圧巻の一言です。十字軍が造営した街が全体として現存しているのは世界でも「アッコ旧市街」の地下だけであると言われており、歴史的に極めて貴重な遺跡であると言えるでしょう。
十字軍が地下に造った巨大な空間には、有名な“十字軍の道”や“騎士のホール”や“聖ヨハネの地下聖堂”など数々の見所があり、よくもこれだけのものを地下に造ったものだとただただ感心させられます。地上には街があり人が住んでいるため発掘作業は困難を極め、40年もの時間がかかったということです。現在ではこちらの地下遺跡の方が「アッコ旧市街」の目玉となっていると言えるでしょう。
地上にオスマン帝国時代の遺跡、地下に十字軍時代の遺跡が残る世にも奇妙な世界遺産「アッコ旧市街」。地中海に面する重要な港町として、キリスト教勢力とイスラム勢力のあいだで翻弄された歴史を体現しているかのようです。イスラエルに観光に行くならば、ぜひ訪れたい場所の一つと言えるでしょう。