中米世界遺産 - ニカラグア

レオン・ビエホ遺跡群

世界遺産ニカラグア第二の都市のレオン・ビエホ遺跡群は、現在では知的拠点であり商業や工業の拠点でもあります。

しかし、レオン・ビエホ遺跡群は移転されてできた街なのです。
1524年にスペインの探検家フランシスコ・エルナンデス・デ・コルドバによりレオン市が成立した時、市街地は現在地よりもさらに20マイル東にありました。

そこはモモトンボ火山から3kmしか離れていなかったために相次ぐ大地震と火山噴火により壊滅、ニカラグアでの生活に著しい支障をきたしたために1609年に現在の場所に移転される形で放棄されました。

その後火山灰により埋もれてしまったために建物の基礎部分は大きく壊されずに残されてきたのです。

1960年代に工事中にラ・メルセー聖堂跡が発見されたことから発掘が開始され、スペイン植民地時代に建てられた住居や大聖堂や砦、博物館といった建物跡が続々と発見されました。
またフランシスコ・ヘルナンデス・デ・コルドバの遺骸も教会跡の祭壇部分で発見されています。

このレオン・ビエホ遺跡群が文化的伝統・文明に関する独特な証拠を示し、建築様式,景観に関する優れた見本であることから世界遺産に登録されたのは2000年のことでした。
特に復元作業などは行われておらず、研究家以外の私たち一般市民にとっては石の基礎の連続は興味をもってもらえないかもしれませんが、世界遺産レオン・ビエホ遺跡群から見えるモモトンボ火山と湖はニカラグアのシンボルであり、写真に収める人も多いです。
現在も発掘が進められ、当時の人々の暮らしぶりや経済の構造といったものが研究材料とされています。

レオン・ビエホ遺跡群のあるモモトンボまでは距離は離れていませんが、バスを何回も乗り継ぐ必要があります。
また、バスの本数が多くないことからタクシーを使わざるを得ないこともしばしば発生しています。

この世界遺産の遺跡群の成立にはいくつかの偶然が重なったものでもあります。

まずは、火山噴火が起きたことです。
当時の人々の暮らしは大きく妨げられてしまいましたが、現在の価値観で言うとそれがかえって良好な保存状態を維持してくれたのです。

そして、大規模な開発が行われてこなかった点も挙げられます。
小国にありがちなのは、遺跡の上から建物やハイウェイを矢継ぎ早に建ててしまう点です。
日本では建物建設の時に遺跡が発見されると発掘調査が行われますが、おそらくニカラグアにあってはその制度はないであろうと推測できます。

それでもなお、上に建物を建てて来なかったのは奇跡にも近いです。
最貧国ということもあり、あまり大規模な開発が怒らなかったのも理由として考えられます。

また秋葉広島市長が訪れ、式典に参加したことでも知られている場所でもあります。

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