クロアチア世界遺産
ドゥブロヴニク旧市街(2)
ドゥブロヴニク旧市街は人口28000人の小さな港町。旧市街地と新市街地をあわせても全長2キロ程度しかない散策コースの世界遺産です。 世界遺産に登録されているドゥブロヴニク旧市街は「アドリア海の真珠」とも謳われる美しい町並みを誇る城塞都市で、特にフェリーで来航すると、真っ青な海に浮かぶ白い城壁に囲われた中に赤レンガの町並みは城塞そのものをうかがわせます。

城壁は、周囲約1,900mあり、厚さ5メートル、高さ20メートルの堅牢な市壁で、まるでその光景はジブリの「紅の豚」の光景を思いうかがわせます。
またその光景は旧市街の背後にそびえるスルジ山の山麓の展望台からも見ることが出来ます。
また旧市街の入り口に当たる城塞のピレ門前、ロブリエナッツ要塞前には、ボスニアとモンテネグロの砲撃による全着弾箇所を示す地図碑が建立されています。
その数は実に2000箇所にもおよび、ユネスコにより現在の町並みが再興されています。
また、「世界中の黄金をもってしても自由は売らず」と書かれた中世の石碑が建立されています。
ドゥブロヴニクの街の歴史はとても古く、紀元前のローマ帝国時代あるいはそれ以前のギリシャ時代にまで溯ります。
地中海貿易の中継点として栄え、東ローマ帝国やベネチア、ハンガリー王国、オスマン帝国、フランス王国、オーストリア公国、そしてユーゴスラビアなどの支配を受けながらも半自治都市として栄えてきました。
14世紀半ばにはラグーサ共和国として独立もして、16世紀にかけてはベネチアを凌ぐほどの繁栄をしていました。
1667年の大震災でも教会や宮殿などは全壊にいたらず、修復して現在のその姿を残しています。
その前後の15世紀から16世紀にかけてはドゥブロヴニク全盛期といわれ、その当時に現在の旧市街のある小島と新市街の陸地の間が埋め立てられ、現在の町並みが形成されたといわれています。
特に見所は16世紀以来のルネサンス期に潜像されたスポンザ宮殿で、現在は公文書館として使われています。
レクター宮殿はゴシック・ルネサンス様式の建物で、現在は博物館として使われいます。
フランシスコ会修道院は、14~15世紀のロマネスク様式の修道院で1317年創業という種痘治療のためにおかれた薬局は薬学博物館としていまだ健在です。
17世紀の大震災で被災して改修されたという大聖堂は、現在はバロック様式で建造されていますが、1192年に英国獅子心王リチャード王による創建と言われています。
ドゥブロヴニクの沖合いに浮かぶロクルム島は、リチャード1世が難破した際、たどり着いた島で、島も城壁に囲まれています。
ロクルム島へはフェリー港の反対側にある南側のマリーナから渡し舟が出ています。
旧市街の城壁は海にそのまま突き出していますが、城壁の下はビーチになっていて、フランスやイタリアからの観光客のリゾート地になっています。
ビーチや城壁沿いにはカフェなども多く、真っ青なアドリア海を眺めながら、ドゥブロヴニクのイタリアンなシーフード、特にオイスターが評判です。