韓国世界遺産

石窟庵と仏国寺

石窟庵と仏国寺(ソックラムとブルグクサ)は、韓国の新羅王朝(356〜935年)時代の仏教遺跡です。王朝の都であった金城(現在の慶州)にあります。それぞれが韓国の国宝として指定されていますが、1995年、二つを一緒とした、「石窟庵と仏国寺」として、ユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されました。韓国の文化を語るときに、かならず外せないものであり、韓国人にとっても特別な遺跡です。

●韓国王朝と仏教
この世界遺産を知る背景として、まずは韓国の歴史を簡単に触れておきましょう。

この遺跡を作った新羅(しんら/しらぎ)は、朝鮮半島を最初の統一王朝です。朝鮮半島への仏教伝来は372年と伝えられていますが、新羅は仏教を厚く保護しました。石窟庵や仏国寺は、この時代の芸術文化の最高峰と考えられています。

新羅に続いて朝鮮半島を支配した高麗王朝(918〜1392年)も、仏教を保護しましたが、その後の李氏朝鮮時代(1392〜1910年)に入ると、一転して仏教は弾圧され、儒教が国教となりました。

この李氏朝鮮時代の弾圧によって、仏教文化は長く冬の時代に入ります。最盛期には1万以上あったと言われる寺院の多くは破壊されました。ごく一部の寺院は存続を許されましたが、その中に、「仏国寺」の名はなく、荒廃が続いたと考えられます。

●世界遺産「石窟庵と仏国寺」の見どころ
「石窟庵」は、現在の大韓民国慶尚北道慶州市の吐含山の麓にある仏教遺跡です。751年に新羅の宰相・金大城が仏国寺の付属石窟として創建し、当初は「石仏寺」と呼ばれていました。

石窟は李氏朝鮮時代に長く放置されていたため、倒壊寸前まで破損していましたが、近現代に入り、修復作業が行われました。現在では人工的に保存管理され、ガラス越しに内部が見られるようになっています。

石窟は、花崗岩を組み合わせて人工的に作られました。内部には本尊である如来座像が、東の海に向かって設置されています。そのため、この地は日の出の名所とされ、朝日を浴びる本尊仏の微笑みを、韓国人は「新羅人の微笑み」と呼んでいます。

もう一つの大韓民国慶尚北道慶州市郊外にある「仏国寺」は、1972年に伽藍全体を復元したものです。751年に前述の金大城の発願によって建立されましたが、その後焼失、伽藍東区の釈迦塔と多宝塔のみが新羅時代のものとされています。

伽藍は毘盧殿、極楽殿、大雄殿の3区域に分かれており、それぞれ毘盧舍那仏の「蓮花世界」、阿弥陀仏の「極楽世界」、釈迦牟尼仏の「娑婆世界」という仏教浄土を地上に具現化しました。

各エリアには蓮華橋・七宝橋と青雲橋・白雲橋とで外界と結び、かつては橋のたもとには、吐含山から引いてきた水で九品蓮池があったと言われています。最盛期には約60棟の木造建築の大伽藍でした。

韓国の古い流行歌に「仏国寺の鐘の音…」というフレーズがあります。“仏の国”という名がついた、この寺は、仏教国家新羅を象徴しており、韓国にとっても特別の寺であることがわかるでしょう。

●慶州の地理と観光
韓国の慶州(キョンジュ)は、古の都として、ソウルとは趣が異なる人気の観光地です。気候は日本の本州とほぼ同じぐらい、四季の移り変わりがあり、寒暖の差があるソウルより、日本人にとっては馴染みやすいでしょう。

6月から9月は、韓国の国花であるムクゲが咲き誇り、秋の仏国寺は紅葉の名所でもあります。周辺には「石窟庵と仏国寺」の他にも、多くの古墳や仏教関連の遺跡が点在しますし、国立慶州博物館には、多くの仏教美術品が展示されています。

2000年には慶州市内を別に「慶州歴史地域」として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。

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