オーストリア世界遺産
ゼメリング鉄道
オーストリアの北東部にある首都ウィーンから、オーストリア第2 の都市の都市グラーツへ向かうための、アルプスのゼメリング峠を超えて南西に進むルートがあります。かつては馬車で往来していましたが、アルプス越えの難所であったため、山岳鉄道が建設されました。現在も利用されているその路線は、1998 年に「ゼメリング鉄道」として、世界遺産(文化遺産)に登録されました。

●オーストリア近代史とその背景の映画
「ゼメリング鉄道」が作られたオーストリアの近代は、ハプスブルク家の繁栄に陰りが見え始めた頃から始まります。
現在のドイツ・オーストリア・チェコ・イタリア北部を支配していたハプスブルク家の神聖ローマ帝国は、1806 年に諸公の離反、皇帝の退位により終焉し、新たにオーストリア帝国が成立しました。その後、フランス革命、ナポレオンの侵攻など、ヨーロッパは激動の時代に巻き込まれます。
そのナポレオン戦争後のヨーロッパの秩序再建と領土を話し合うために開催されたのが、1814~15 年の「ウィーン会議」でした。この会議は、古典映画の傑作『会議は踊る』でも有名でしょう。
その後、オーストリアはハンガリーと合体したオーストリア・ハンガリー帝国となります。
19 世紀末のウィーンは、世紀末美術が流行し、ハプスブルク家の最後の花が咲いた時期です。しかし、オーストリア・ハンガリー帝国の後継者が暗殺される「サラエボ事件」が起こり、第一次世界大戦が勃発します。
戦争末期の1918 年、オーストリア革命が起こり、共和国となりますが、今度はナチス・ドイツに併合されます。映画『サウンド・オブ・ミュージック』は、第二次世界大戦前夜のザルツブルクが舞台です。
第2次世界大戦でドイツが敗北すると、一時オーストリアは英米仏ソ4 ヶ国の分割統治下の後、再び共和国となり、永世中立国宣言をしました。この大戦直後のウィーンを舞台にした映画が『第三の男』です。このように映画を知り、激動のオーストリアの近代を知ると、旅が一層楽しくなるかもしれません。
●世界遺産「ゼメリング鉄道」の見どころ
「ゼメリング鉄道」は、1848 年から54 年にかけて、海抜約1000 メートルの峠を越える約42km の路線です。
ウィーンのグログニッツからゼメリングを経由し、ミュルツツーシュラークに至ります。そしてさらに、線路はイタリアのベネチアやクロアチアのザグレブまでつながっています。
世界遺産に登録された理由の一つとして、鉄道が自然と調和するように作られていることがあります。山岳鉄道ならではの美しい車窓を楽しみ、途中下車をしてハイキングを楽しんだりと、のんびりと自然を満喫する鉄道の旅が大人気です。
●グログニッツ・ゼメリング・ミュルツツーシュラーク観光
世界遺産となっている「ゼメリング鉄道」は、現在も稼働中であり、終点まで80分の旅です。
始発駅の「グログニッツ」は、ウィーンから南に75km、エイヒベルク山の麓にある小さな街です。街で有名なのは、歴史博物館になっているグログニッツ城、また手工芸が盛んで定期的に市がたっています。
鉄道名にもなっている、途中の駅「ゼメリング」は、高級リゾートとして人気です。伝統的なホテルも建っており、夏はハイキングや音楽などのサマーフェスティバル、冬はウィンタースポーツで賑わっています。
そして終点の「ミュルツツーシュラーク」は、ミュルツ渓谷の小さな街であり、経済・文化の中心地です。ブラームスのゆかりの街としても知られており、夏休みを過ごした別荘が残されています。また、毎年9 月のブラームス音楽祭には、世界中の大勢の愛好家がこの街を訪れています。