ポーランド世界遺産

ワルシャワ歴史地区

「ワルシャワ歴史地区(Historic Centre of Warsaw)」はポーランドの首都ワルシャワのビスワ川沿いの旧市街地にある世界遺産です。ここが世界遺産として認められた理由は「破壊からの復元および維持への人々の営み」が評価されたもので、「復元文化財」は登録に値しないという理由から登録が危ぶまれていましたが、「破壊と復興の歴史そのものが後世に残すべき遺産である」として文化遺産に認められたものです。

したがって、この世界遺産を理解するためには、その悲惨な破壊の歴史を知らなくてはなりません。その端緒になったのは、第2次世界大戦中ナチス・ドイツ占領下のワルシャワで起こった市民による武装蜂起でした。

ソ連軍のポーランド東部への進攻に呼応してレジスタンスの市民が蜂起、駐留ドイツ軍を攻撃したのですが失敗し、かえって激怒したヒトラーは「蜂起した国内軍の弾圧とワルシャワの徹底した破壊」を命じたのでした。

ドイツ軍による懲罰的攻撃によりワルシャワは徹底した破壊にさらされ、蜂起参加者はテロリストとされ、レジスタンス・市民約22万人が戦死・処刑で死亡したと言われ、この時の様子を描いたのが映画「戦場のピアニスト」や「地下水道」です。

こうしてドイツ軍の重火器による徹底的な攻撃にさらされ、街の建物はことごとく破壊されてしまったのでした。

しかし終戦後廃墟と化した旧市街地は、ポーランドの人々の無償の力でみごとに蘇りました。復旧に当たってはもともとの建物に使用された煉瓦はできるだけ再利用されました。一つ一つの破片でさえ、もともとあった場所に再度挿入されたのです。

こうして街は完璧に復元されたのですが、それを可能にしたのは建築学の教授ザッファトヴィッチとその弟子たちが戦前に描きとめておいた精密な建物のスケッチでした。また18世紀に描かれた風景画を元に、街並みそのものも正確に復元されました。

教授と市民たちは最後にワルシャワの歴史の象徴とも言うべき王宮をも復元しました。「歴史を奪われた国民は、存在しないも同然だ」と教授は語っていますが、「ワルシャワ歴史地区」はまさにポーランドの人々の存在の証となったのです。

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