ポーランド世界遺産

クラクフ歴史地区

「クラクフ歴史地区(Krakow)」はポーランド南部にある古都で、戦禍にまみれる事の多かったポーランドのなかで唯一戦渦を逃れて700年以上も昔のままの姿を残している世界遺産です。

17世紀にワルシャワへ遷都するまではクラクフがポーランド王国の首都でした。流通の要だったヴィスワ川ぞいに商業が栄え、ヴァヴェル城を中心に街並みが広がっています。市街を守ってきた城壁は北のフロリアンスカ門周辺だけを残して現在は取り払われていて、緑地帯になっています。

ヨーロッパ大陸のなかでも最も戦禍にまみれた国、それがポーランドでありその首都がクラクフであったことを思えば、まったく無傷のまま今日まで古の姿を残していることは奇跡としか言いようがありません。街の中央にある中央市場広場を取り囲む建物や、そこから広がる街並みの景観は14世紀ころのままであり、 クラクフ歴史地区を散策すればこの地区がまさに文化遺産そのものであることを感じるでしょう。

クラクフの起源は大変古く、ポーランド王国が出来た10世紀よりもはるかに以前の8世紀ころだと言われています。このクラクフの歴史において唯一の戦禍は、1241年のバトゥ率いるモンゴル帝国軍の侵攻を受け大敗した時でしたが、14世紀初頭から巧みな平和外交によって神聖ローマ帝国やボヘミア王国などからの外圧をかわし、最盛期を迎えたのでした。

現存する建物の多くがこの頃に建てられたもので、コペルニクスが教鞭をとったことで有名なヤギェウォ大学(Uniwersytet Jagielloski)や、中央市場広場にある織物取引所、さらに聖マリア教会などが建てられました。

しかしその後17世紀の宗教戦争(三十年戦争)や、18世紀後半のポーランド分割などに巻き込まれ国家そのものが消滅してしまい、クラクフはオーストリア領ガリツィアへと組み込まれてしまいました。その後紆余曲折を経て第一次世界対戦でポーランドは独立を果たし、クラクフもまたポーランドの領土に戻ったのでした。

最大の危機は第二次世界大戦でのドイツ・ナチスの進攻でした。ヒトラーによるポーランド壊滅指令で他の街が壊滅させられたにもかかわらず、クラクフはドイツ駐留軍の拠点として扱われたため、皮肉にも一切の攻撃にさらされる事なくその姿を今日に残したのでした。

クラクフは中世よりユダヤ人を積極的に受け入れた街で、ユダヤ人コミニュティーの存在を許していました。ナチスによる強制労働を強いられた時に街の工場主がユダヤ人を秘かに避難させたことは、映画「シドラーのリスト」となって、クラクフの人達がユダヤ人を守った尊い姿が残されています。

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