ポーランド世界遺産

アウシュヴィッツ=ビルケナウ-ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所(1940年-1945年)

「アウシュヴィッツ・ビルケナウ-ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所(1940年-1945年)(Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau)」は第二次世界大戦中のアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツが百万人以上におよぶ人々を虐殺した絶滅収容所ですが、「第二次世界大戦における悲劇の証拠であり後世に語り継ぐべきもの」としてユネスコの世界遺産に「負の文化遺産」として登録されたものです。

その場所はポーランドの最南端、チェコとスロバキアの国境が接する位置にあり、鉄道の接続が良いばかりでなく炭鉱などの資源もあり「戦争遂行に欠かせない物資の生産を行うのに適している」ことから開設されたものです。そして大量の物資の生産を行うための労働力として「ユダヤ人、政治犯、ロマ・シンティ(ジプシー)、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜」などが収容されたのでした。

こうした差別を可能にしたのが「アーリア人至上主義」というもので、アーリア人の代表であるドイツ人以外の民族を国内から締め出し、この収容所に送り込むことによって大量の労働力を得ようとしたのです。さらに、主にポーランド人とユダヤ人を対象にした民族完全絶滅のための集団虐殺計画が実行されたのです。

その迫害はすさまじいもので、SS(ヒトラーの親衛隊)によるユダヤ人狩りの様子は「アンネの日記」に書き残され、読む者の心を痛め悲しめ「二度とこうした悲劇が繰り返されないように」との思いを強くさせるのです。

ここで失われた命が幾らなのかは正確には把握されていませんが、近年の調査ではおよそ140万人であったと推定されています。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ-ドイツ・ナチの強制・絶滅収容所に移送されてきた人々の中で真っ先に命を奪われたのは「女性、子供、老人」であったと伝えられていて、「労働力にならない者」として真っ先にガス室へ送られて殺戮されました。

書類に記載されることもなく殺されたこの人たちの数は全く不明ですが、30分で800名ずつ殺害出来たという第二強制収容所などのガス室で殺され、焼却場で焼き捨てられたのでした。

ガス室送りを免れた人々は約40万人と伝えられていますが、「政治犯」「一般犯罪者」「移民」「同性愛者」、さらには「ユダヤ」などに登録されてから作業場へと割り振られて行き強制労働に就かされました。

しかしあまりに劣悪な環境のなかで次々と人々は倒れていき、終戦後の1945年の1月27日に開放された時、そこに生き残っていたのはわずか7500人だったのです。

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