イラン世界遺産

ペルセポリス

イラン南西部ファールス地方にあるペルシヤ湾近郊のシーラーズという街より車で1時間程の場所に、世界遺産『ペルセポリス』があります。 1979年に世界遺産・文化遺産に認められた紀元前の都跡地群です。

『ペルセポリス』は紀元前518年に、オリエント(現在のイランからアラビア半島、エジプトを含めた地域)全域を支配した大帝国・アケメネス朝ペルシヤの都として、第四代皇帝であったダレイオス1世によって築かれました。

『ペルセポリス』はおおまかに6つの区画で構成されています。しかし、現在残っている遺跡は紀元前330年に、アレクサンドロス大王率いるマケドニア軍によって焼き滅ぼされてしまいました。それでも、いくつか残されたレリーフや石柱などから当時の様子がうかがえます。

6つの区画とは、「クセルクセス門」「謁見の間」「宮殿跡」「百柱の間」「宝物殿跡」「王の墓」のことです。小高い山の上に、これらが一つの『ペルセポリス』という王宮になっているのです。

「クセルクセスの門」は、別名「万国の門」とも呼ばれ、左右に人面翼獣の像があり、門番のような役割をしていると思われます。

「謁見の間」(別名:アパナダ)の階段になっている入り口の横には、高さ3m程のレリーフが描かれた岩があります。「謁見の間」には2か所入り口がありますが、両方にそれぞれレリーフがあります。このレリーフは大変興味深く、貢物を献上しに訪れた様々な民族たちが行列をなしている様子が描かれています。それも、それぞれの民族の特徴をしっかり描いており、どこの人々かわかってしまう程です。その特徴とは、服装や貢物の、動物などの絵で、これらから推測することが出来るのです。

その他に「宝物殿跡」は1haという広大さを誇り、当時の貢物や宝物の量が図り知れません。アレクサンドロスが『ペルセポリス』を滅ぼしたときに、1万頭のラバと5千頭のラクダを使って全ての宝を運びたしたという言い伝えがある程です。

ここまで豪華絢爛に造られていた『ペルセポリス』ですが、アケメネス朝の都であったが政治の中心ではなかったと考えられています。近隣の国の書物などの調べで、ほとんど歴代の王たちは『ペルセポリス』ではなく、「スサ」という街で行政を執り行っていたと推測されているのです。

ここ『ペルセポリス』は、行政を行う場所ではなく、現在イランはイスラム教が国教ですが、当時信仰していた≪拝火教≫の儀式を行う場所だったとされています。特に、≪ノールーズ」という新年祭を行っていたといいます。これは、日本で言う、春分の日である3月21日に毎年行われていた伝統行事で、≪拝火教≫では3月から1年が始まるのです。

世界遺産『ペルセポリス』は、紀元前の大帝国の権威の財力を集めた都市として繁栄し、その重要さから破壊されてしまった遺跡なのです。

国でさがす
イタリア
スペイン
中国
フランス
ドイツ
メキシコ
イギリス
インド
ロシア
アメリカ
オーストラリア
ブラジル
ギリシャ
日本
カナダ
スウェーデン
イラン
ポルトガル
ポーランド
チェコ
ベルギー
トルコ
オーストリア
ペルー
スイス
韓国
オランダ
ブルガリア
エチオピア
キューバ
アルゼンチン
クロアチア
ノルウェー
フィンランド
ルーマニア
ハンガリー
チュニジア
南アフリカ
モロッコ
スリランカ
アルジェリア
エジプト
タンザニア
インドネシア
ベトナム
コロンビア
オセアニア
南米
中米
西・中央アジア
東南アジア
中東諸国
アフリカ
旧ユーゴ
バルト三国
旧ソ連地域
中央ヨーロッパ
北欧
知られざる小国