日本世界遺産

中尊寺(平泉)

中尊寺といえば金色堂が大変有名ですね。京都にある金閣寺と並んで、お堂全体がまばゆい金色に輝く、たいへん豪華絢爛な建築物です。

この有名なお堂を含む『中尊寺』が世界文化遺産に指定されたのはごくごく最近、2011年6月のことです。元々は平泉地区全体を登録しようとし――京都に大いに影響を受けていました――その後、浄土思想を基調とする文化的景観としての登録を試みました。しかし、現在の登録は『文化的景観』ではありません。

実は、かの有名なマルコ・ポーロが『東方見聞録』にて、日本のことを『黄金の国・ジパング』と表現したのは、中尊寺金色堂を見たことがきっかけだったのです。日本は世界遺産委員会にその点を強調し、その結果めでたく2011年に世界遺産として正式に認められました。

中尊寺は平泉駅からおおよそ1キロほど北の山の上に建てられた寺院です。
比叡山延暦寺の慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)によって開山されました。天台宗東北大本山にあたり、奥州三十三官能番外札所となっています。山号は関山といい、御本尊は阿弥陀如来です。

寺伝によると、嘉祥三年(850年)開山、その後貞観元年(859年)に精和天皇より『中尊寺』の名を賜ったとされていますが、正式な史料は残っておらず、事実上、奥州藤原氏初代・清衡(きよひら)が12世紀初頭に建立した、釈迦如来と多宝如来を祀る『多宝寺』が中尊寺の始まりとされています。前九年・後三年の役で亡くなった人々を弔うために、四十を超えるお堂や塔が建立・整備され、僧侶が寝泊まりする宿舎(僧帽)が三百以上存在していました。14世紀におきた火災で多くの建物を焼失しましたが、現在でも三千点以上の国宝や重要文化財が残されています。

奥州藤原氏とは、寛治元年(1087年)~文治5年(1189年)の約百年の間平泉を中心に東北地方を支配していた豪族です。天慶の乱を鎮めた藤原秀郷(ふじわらのひでさと)の子孫で、源頼朝に滅ぼされるまでの権勢はすさまじかったといわれています。

なお、今年度(2012年)の大河ドラマ『平清盛』にも関係があります。兄・頼朝に追いやられた義経が難を逃れた地が平泉なのです。大河ドラマファンの方は要チェックですね。
それでは中尊寺の見どころを順番に紹介していきましょう。

<月見坂>
中尊寺の入り口から約八百メートルほど続く参道です。入口には巨大な石碑が建てられています。石碑の脇には石像と桜があり、記念撮影をされる方が多いようです。が、ここで山を見上げると、絶句してしまうほどの傾斜の坂が続いています。そう、月見坂の入ってからおおよそ三百メートルほどは、体の弱い方やヒールつきの靴では上り下りできないほどの凄まじい坂道なのです。一応ロープがはってあり、主に下りる方が掴んでいらっしゃいましたが、かなり足腰に堪えます。とはいえ、ところどころに軽く休憩できるベンチがありますのでご安心ください。

坂の一番辛い部分をのぼりきった辺りから、両側が樹齢が二百年以上の杉に挟まれます。まるで緑のトンネルを歩いているようで風情があります。これは、江戸時代に平泉を治めていた伊達氏が植えたものです。非常に気持ちが良くなります。

<本堂>
月見坂を登りきり、あまたの小さな寺社を左手にすぎると、右手に大きな門が見えてきます。ここが、中尊寺の本堂です。ここに上記の阿弥陀如来が祀られています。現存しているものは明治42年(1909年)に再建されたもので、比叡山延暦寺から分火された『不滅の法灯』があります。
ここで『四寺廻廊』(※)の御朱印をいただくことができます。

また、本堂の左奥には『茶室松従庵』という休憩所があります。裏千家・千宗室設計で、抹茶と和菓子がいただけます。

※四寺廻廊(しじかいろう):松尾芭蕉『おくのほそ道』に関わる立石寺/瑞巌寺/毛越寺/中尊寺の四つをめぐるという企画です。どこの寺から始めてもかまわず、期限も特に設けられていません。御朱印とよばれるスタンプとお寺の方に書いていただく寺名・日付を四つすべて集めると記念品が貰えます。中尊寺と毛越寺は近いですし、立石寺と瑞巌寺も近いので、もし立ち寄られるのでしたらチャレンジしてみてはいかがでしょうか? 

<金色堂>
中尊寺全域の中で一番有名でしょう。
清衡が天治元年(1124年)に建立しました。贅沢にも全面に金箔を使い、これを見たマルコ・ポーロが『東方見聞録』に『黄金の国ジパング』という記述を残したぐらいです。

実は金色堂とすぐ横の讃衡蔵(さんこうぞう)の拝観のみ有料です。それが少々お高めの八百円で(たいていの寺は五百円以内です。現在修繕工事中の姫
路城も七百円です)讃衡蔵横のチケット販売所で買いもとめることができます。しかし、逆に言うと金色堂と讃衡蔵以外は無料で参拝できるのですから、安いと考えることもできますね。なにせ、中尊寺全体はとても広いのです。ゆっくり見てまわっていたら三時間近くかかってしまうでしょう。

また大変混みあいます。筆者が参拝したのはGWの前半(四月三十日)でしたが、チケット売り場は長蛇の列で、最後尾札を持った列整備の方がいらっしゃいました。
チケットを購入してからいざ金色堂に入ろうとすると、これがまた混雑に見舞われます。

金色堂は現在、コンクリート製の建物に覆われており、経路にそって入館すると、厳重にガラスで守られた姿を拝むことができます。正面にあたる場所は通路が狭くなっており、また音声アナウンスが流れたり、お賽銭箱があったりするのでなかなか人が流れません。しかし、その代わりに保存状態(修復状態)は素晴らしく、人の少ない時期を狙っていけばゆっくりと眺めることができるでしょう。ちなみに再建されて保護されている金色堂のすぐ近くに、元々の金色堂と言われているさびれたお堂がひっそりとあります。

少し話が逸れてしまいましたね。では、実際の金色堂とはどのようなものなのでしょうか。全体が黄金で輝いているのはもう名前の通りです。松尾芭蕉は「五月雨の 降り残してや 光堂」と詠みました。でも、金色に光っているだけではないのです。内装に夜光貝を使用した螺鈿細工や、当時最新の技術であった蒔絵細工が施されており、まさに豪華絢爛という言葉がふさわしいと言えましょう。他にも珍しいことに壁画ではなく漆細工で仏像を表現しています。中国経由で輸入されたアフリカゾウの象牙が使用されていることから、奥州藤原氏がいかに裕福であったかがわかります。

須弥壇(しゅみだん/本尊を安置するために一段高くなっている場所)が、金色堂の場合三台あります。阿弥陀三尊をはじめとする11躯の仏像が道内には配置されています。そして、須弥壇の中には、向かって左から基衡(右壇)、清衡(厨横壇)、秀衡のミイラ化した遺体が安置されています。泰衡の首級を治めた首桶は右壇に安置されていました。珍しい副葬品がおさめられており、これは金箔同様清浄さを示すものだといわれています。

国でさがす
イタリア
スペイン
中国
フランス
ドイツ
メキシコ
イギリス
インド
ロシア
アメリカ
オーストラリア
ブラジル
ギリシャ
日本
カナダ
スウェーデン
イラン
ポルトガル
ポーランド
チェコ
ベルギー
トルコ
オーストリア
ペルー
スイス
韓国
オランダ
ブルガリア
エチオピア
キューバ
アルゼンチン
クロアチア
ノルウェー
フィンランド
ルーマニア
ハンガリー
チュニジア
南アフリカ
モロッコ
スリランカ
アルジェリア
エジプト
タンザニア
インドネシア
ベトナム
コロンビア
オセアニア
南米
中米
西・中央アジア
東南アジア
中東諸国
アフリカ
旧ユーゴ
バルト三国
旧ソ連地域
中央ヨーロッパ
北欧
知られざる小国