日本世界遺産

姫路城

第二次世界大戦も終焉に近い1945年7月3日、姫路も空襲に見舞われました。しかし、大天守に着弾した焼夷弾は不発に終わり、悪夢の一夜が明けた姫路の人々は、焼け野原となった町の中央にそびえたつ姫路城を見て涙し、必ず復興させようと勇気づけられた――昭和一桁生まれの祖父はずっと姫路に住んでいるのですが、姫路城の話になるとよくこの話をしてくれました。

Wikipediaにも載っている有名なエピソードですが、姫路市民にとっては本当にあったできごとなのです。わたしは幼少期、姫路城のすぐ裏手に住んでいて、世界遺産に登録される少し前の頃、母に連れられ弟と一緒によくお堀の鯉を見に行きました。また姫路市市制100周年の際につくられた『シロトピア記念公園』という、姫路城裏手(姫路シロトピア博イベント跡地)にある大きな公園で遊ぶこともしょっちゅうありました。

ちなみに姫路城が世界遺産に登録されたのは1993年。法隆寺などと並んで日本で初めてのことです。
姫路城、別名・白鷺城は読んで字のごとく、白鷺のように真白な白漆喰壁が有名な、巨大なお城です。『暴れん坊将軍』シリーズをはじめとする、時代劇で使われる江戸城の映像はみな姫路城です。(本物の江戸城跡地は現在皇居となっています)

現在は50年に一度の大補修が行われているため見ることができませんが、普段は夜間も天守閣を目立たせるために下からライトアップされ、いつでも純白に輝くその雄姿を見ることができます。

平成の大補修といえば、先日NHKの『探検バクモン』という番組で補修工事の様子が放映されました。再放送もありますし、NHKアーカイヴスでも見られるので興味がある方はご覧になってみてください。

日本最大規模とも言われる姫路城の持ち主は次々と代わりました。赤松氏が姫山(姫路城が建つゆるやかな丘陵のことです)に築城した、というのが始まりで、有名な逸話ですが、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)も居城していました。秀吉が在場していた期間はわずか四年ですが、建築が道楽の秀吉は様々な工事をほどこし石垣やお堀を作り、三重の天守閣も造りました。これらの痕跡は現在の補修工事で確認されています。後の改修工事で再利用されたこともわかっています。

現在の姫路城の形に整えたのは池田輝政です。関ヶ原の合戦ののちすぐ入城し、三郭や本丸・二の丸・三の丸・西の丸などを造りました。また有名な五重六階地下一階の大天守もこのときに造られました。この大天守、高さが三十三メートルもあります。丘の上に建てられているので海抜でいうと四十メートルを超えます。大天守最上階の窓から南を眺めれば、瀬戸内海まで見はるかすことができます。

姫路城に関わる有名人といえば、千姫でしょう。2010年の大河ドラマ『江』のヒロイン・江の次女です。少女期を芦田愛菜ちゃんが演じていましたね。

城主が池田氏から本多氏に代わったあと、本多忠刻のもとに千姫が嫁ぎました。千姫はもともと豊臣秀頼の正室でしたが、大坂夏の陣の際大阪城から救出され、忠刻の正室となりました。忠刻は千姫のために西の丸を大幅に改築し、現在ものこる化粧櫓や百間廊下を整えました。西の丸には千姫の頭身大人形が展示され、どのような生活を送っていたか伺えるようになっています。

姫路城には城の日というものがあります。毎年4月6日です。この日(と正月三が日)は入城料が無料になり、大勢の観光客がおとずれます。ちなみにJR姫路駅北口正面約1キロのところにある大手門(入城門です)から三の丸広場と呼ばれる三の丸跡地は無料で入ることができます。三の丸広場は広い芝生をぐるりと囲むように桜が植えられ、丁度城の日の頃に桜が満開となるので、市民たちは昼も夜も三の丸広場で花見をします。

現在の平成の大補修工事が終わるのは2014年の春です。姫路城の管理部の方によると桜が咲くまでには終える予定とのことですので、花見もかねて一度見物に行ってみてはいかがでしょうか。

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