日本世界遺産

石見銀山遺跡とその文化的景観

石見銀山は、「石見銀山遺跡とその文化的景観」という名称で世界遺産に登録されている銀山で、島根県大田市にあります。石見銀山では既に採掘作業は行われておらず、現在の世界遺産登録地域にあるのは、銀山跡地やそれに関連する村々、港湾などの景観です。

その世界遺産登録範囲の面積は529.17ヘクタールで、東京都の面積の倍以上という広さを持ちます。石見銀山は、銀鉱を支える人々が生活してきた場所と銀山、自然景観のバランスが見事に調和し、世界遺産(文化遺産)に登録されたのですが、文化遺産の中でも、国の産業に貢献した「産業遺産」いうのは非常に珍しく、アジアでは「石見銀山遺跡とその文化的景観」が初めての登録になりました。

日本に銀鉱があり、そこが16世紀~18世紀に栄えていたという事実は、知らない人も多いと思います。実際に、日本はかつて銀の輸出で栄え、石見銀山は、世界の銀総生産の1/3を占める有名な銀鉱でした。特に石見の銀は「ソーマ銀」という銘柄で、世界各地で人気を呼んでいたのです。

石見の山に銀脈を発見したのは、大内弘幸という人です。1309年に銀脈が発見され、その後1536年に博多の商人・神谷寿貞が、地下銀を掘り出すことに成功しました。こうして、日本の銀産業が開花します。銀は当時高い価値を持ち、銀脈は多くの人がその所有権を主張して争いました。そしてどの銀山所有者も銀貿易に力を注ぎ、17世紀には、日本の銀は世界的に知られるようになったのです。

しかし、幕末、そして明治維新を経て、銀産業の勢いは停滞していきます。明治以降は、銀の価値が下がったことや天災による度々の休山などで経営が行き詰まり、結局1943年に完全閉鎖することになりました。しかし、16世紀~18世紀の日本経済を支えたその遺構は、今尚残っています。

世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」を形成する銀鉱山跡と鉱山町には、鉱山本体と銀山町、そしてそれに関連する施設や城跡が含まれます。歴代の銀山を守ってきた代官が築いた城の跡地や、銀山にまつわる人々の屋敷が現在も残っています。「石見銀山街道」は、銀の輸送路として使われた街道で、鞆ヶ浦道、温泉津沖泊道の2箇所があります。銀は陸路で港まで輸送され、その後船積みされていましたが、鉱山町がある日本海側は特に冬の風が強く、交易に不向きでした。そのために、瀬戸内海に抜けるルートを開拓し、その街道を整備したのです。

日本海側では、銀の取引で利用された港と港町が世界遺産登録地域に入っています。鞆ヶ浦、沖泊、そして、温泉津の町々です。温泉津は、温泉町として唯一国の重要伝統的建造物保存地区に指定されており、銀だけでなく温泉の地としても昔から有名なところです。その街並みには古き良き日本の光景が残されていて、産業が最盛期を迎えていた頃の様子を今に伝えています。鞆ヶ浦は、世界各地から良質の銀を求めて船で渡ってきた人たちが往来した港町です。この周辺も早くから文化的価値が見出され、保存されてきた場所ですから、見る価値があります。

江戸時代の日本の産業を支えた銀山で、世界遺産にまでなった「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、日本の産業史を彩った広大で素晴らしい物件です。特に日本経済の成り立ちを学びたい方には、非常に魅力的なところでしょう。

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