ギリシャ世界遺産

ミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)

ギリシャにあるミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)は、世界遺産に指定された中世城塞都市遺跡です。
地中海文明のルーツのひとつとして主要な拠点であるギリシャに、幾つもの文明に接するちう地理的環境からも、文化、宗教などから様々な影響を受けています。

ミストラスの古代遺跡(ミストラ遺跡)は、そんなギリシャにある、地中海の中のアテネ西部にまるで小島のように突き出したロポニソス半島南東部のラコニア県に位置し、ギリシャ正教会に関連する修道院や聖堂、居住区、宮殿などの数多くの建造物が残されている事から、ユネスコ世界遺産に指定されているのです。

ミストラスの始まりは、十字軍によって侵略されたラテン帝国の時代に、ロポニソス半島一帯に建設されたアカイア公国の第4代ギヨーム2世によって城が築かれた事によります。
タイゲトス山脈のスラヴ人の一部族であるメリング族という不服従勢力の脅威から公国を守るべく城下町を造り上げたのです。

その後、戦乱の中でギヨーム2世が失脚してアカイア公国が崩壊して以降も、ミストラスは東ローマ領ペロポニソスの重要拠点として、城下町を中心とした都市としての発展を遂げる事になります。
膨れ上がる人口に治安維持のための城壁や門などによる防御を固め、行政の中枢としての働きをなす宮殿を中心とした市街が次々と形成される中、自由で平和な気風に文芸も育ちました。
人文主義の文芸や、「パレオロゴス朝ルネサンス」と称される教会美術が育ち、政治、経済のみでなく、文化の中心地としても、高い名声を受ける事になったのです。

その後オスマントルコの侵略を受けてからは、キリスト教の教会や修道院はイスラム教のモスクへと姿を変え、トルコ人やユダヤ人の居住区も形成されるなど変化を見せながらも、その発展は衰退する事はありませんでした。
小さな紛争が頻発する時代にあってなお、発展は続いていました。

そんなミストラスの終焉は、18世紀の頃、ロシア帝国による大規模な反乱が期となり、オスマントルコによって半島全土が破壊され、その後のギリシャ独立戦争によりとどめを受ける事になるのです。

現在では、修復・保存が行われたギリシャ正教会に関連する美しい建造物が世界遺産として保存されています。
数多く残されたルネサンスの走りとも言われるフレスコ画や、八角形ギリシャ正十字聖堂など、建設当時をほうふつとさせるような世界遺産の数々に、見る者たちが心奪われるような遺跡として、大変人気のスポットとなっています。

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