ギリシャ世界遺産

アトス山

ギリシャでもトルコとの国境に近い地域は、日本人がイメージするものとは一味違った雰囲気があります。
その中でも、北東部にそびえるアトス山とその周辺はキリスト教の一大宗派である正教会の聖地として有名な世界遺産です。

しかし、世界遺産といってもここは簡単に観光にいける土地ではありません。
アトス山のあるアトス半島は、海岸線のほとんどが険しい崖か岩場で成り立っていて、今でも決まった所から船か陸路なら徒歩でしか入ることができません。

この半島には現在大小20もの修道院があり約2000人の修道士が居住していますが、ギリシャ共和国内にありながら治外法権が認められている自治共和国となっています。

そのため、この世界遺産地域に入るには入国許可が必要な上に、ギリシャ人以外は1日に入国できる人数も厳しく制限されています。
また、世界遺産周辺住民はギリシャ正教会が主要宗教なのに対し、この半島は正教会でも筆頭格のコンスタンティーヌポリ総主教庁の管轄にあり、中世からの正教会の修行の伝統が守られています。

半島全域は1406年から600年以上に渡り女性の入山を禁止する女人禁制が貫かれています。
女性の姿が目に入ることが禁欲的な修道士の修行の妨げになるという考えからです。
今も、女性はもちろん男性でも未成年者は一切入国禁止、特に女性に関しては人間どころか動物すら入ることができないといった徹底ぶりです。
女性を乗せた船は、岸から500メートル以内に近づくことが許されません。
実際は、何度か漂流したり難民となった女性を受け入れたりしたことがあったようですが、数えるほどしかありません。

アトス山を中心とする地域が文献上に現れるのは9世紀頃です。
伝承では、生神女マリヤ即ちカトリックでの聖母マリアが旅の途中で嵐に遭ってこの地に避難、異教徒が住んでいたが上陸した途端異教の神像は全て壊れてしまったということから始まると言われています。
そのため、アトス山の守護聖人は「生神女マリヤ」となっています。

聖地として隆盛し始めたのは、963年東ローマ(ビザンツ)帝国から免税特権を付与されてからのことです。
以降、最盛期には修道院の数が60以上修道士が6万人以上いたとされます。
1543年に東ローマ帝国が滅亡してから、アトス山周辺もオスマン帝国の支配下に入りました。
しかし正教の伝統は守られ、オスマン帝国のスルタンからも強大な自治権が認められました。
その後、ギリシャが独立してからも自治領として認められ現在に至っています。

長い歴史を持つアトス山が本当に危機を迎えるのは、近現代になってからと言えます。
20世紀になってから、ギリシャ政府はトルコからの帰還民に居住地を与えるため、アトス山の土地を多く没収しました。
第二次世界大戦中、すぐ北側のブルガリアにソ連が侵攻し、共産主義の宗教弾圧を受けたアトス山は一時壊滅の危機に陥りました。
現在もEUから女人禁制の伝統が男女均等指令に反するとして撤廃が求められる等、伝統と近代化の波の間に挟まれた状態となっています。

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