フランス世界遺産

歴史的城塞都市カルカソンヌ

フランス最南端のランドック・ルーション地方には、フランスで第二位の訪問者数を誇る観光地、カルカソンヌがあります。そして、カルカソンヌの南東部には、かつて「ラ・シテ」(=シティ、「町」という意味)と呼ばれていた、二重城塞に囲まれたコミューンがあります。この地域は、1997年に、「歴史的城塞都市カルカソンヌ」という名称で、世界遺産に登録されました。

フランスには、首都パリ以外にも数多くの観光地や世界遺産がありますが、その中でも特に観光客を惹きつけているカルカソンヌには、一体どのような魅力があるのでしょうか。

「歴史的城塞都市カルカソンヌ」の歴史は、紀元前3世紀に遡ります。この頃、ケルト人がカルカソンヌを砦として利用していたのが始まりです。その後、ガリア人の支配を経て、ローマに吸収されます。最初の城塞を築いたのは、ローマ帝国です。しかし、ローマの統治も長くは続きませんでした。453年には西ゴート王国、そして508年にはフランク王国がこの地の奪取を試みるなど、カルカソンヌは常に激しい攻撃下にさらされていました。

このように、どの国もこの地を支配下に収めようとしたのは、カルカソンヌの地理条件にあります。カルカソンヌは、地中海と大西洋を結ぶ交通の要であり、また軍事目的の利用価値もありました。それにより、カルカソンヌは南ヨーロッパでも最も覇権争いの激しい都市になってしまったのです。そして、フランス王国のルイ9世統治下に入った1247年、ルイ9世は、隣接するアラゴン王国から自衛するために、城塞の外側に新たな城塞を巡らす工事を始めました。その完成を見届けずにルイ9世はなくなりましたが、1285年、フィリップ3世(ルイ9世の息子)の時代にようやく完成し、それ以来カルカソンヌは壊滅的な被害を免れるようになりました。現在の「歴史的城塞都市カルカソンヌ」に残る重要な建築物は、この頃から造られ始めたものです。

しかしその後、カルカソンヌには荒廃の時代が訪れました。17世紀半ば、フランスとスペインの国境を明確にする「ピレネー条約」が締結された後、もはや用をなさなくなった城塞とその内部は、自ずと荒廃の道を辿ることになったのです。それから2世紀余り、カルカソンヌは地方都市の一つに過ぎず、かつて激しく争奪戦が繰り広げられた歴史の重みも失われていきました。

「歴史的城塞都市カルカソンヌ」が、中世の姿を取り戻したのは、建築家、ヴィオレ・デュクによる復旧工事が始まってからのことです。デュクはパリのノートルダム寺院の建築を手がけた人物で、彼により、カルカソンヌの「ラ・シテ」は見事に蘇りました。その復旧工事の際には新たな居住スペースなども造られ、現在も人々がカルカソンヌを居住の地にしています。

「歴史的城塞都市カルカソンヌ」は、荒廃の時代こそあったものの、修復作業が行われてからは、中世の街並みを守り続けています。現・カルカソンヌから城塞を2回潜り抜けると、そこには時代を越えた中世そのままの空間が待っています。フランスに数多く残る歴史遺産の中で、何故カルカソンヌの地が圧倒的な人気を誇るのか、その答えは、ラ・シテに行くと、簡単に分かるでしょう。現代人が体験できる中世ヨーロッパの世界、そこには大きな浪漫と感動が待っているのです。

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