フランス世界遺産

モン・サン・ミシェルとその湾

1979年に世界遺産に登録された「モン・サン・ミシェルとその湾」は、フランス北西部のサン・マロ湾に浮かぶ孤島で、その孤島には「モン・サン・ミシェル」という、島と同じ名前を持つ修道院があります。かつてフランス王が巡礼の地として頻繁に訪れ、現在では年間約300万人の巡礼者・観光客が訪れる、フランス屈指の観光スポットでもあります。「モン・サン・ミシェル」はフランスで最も美しい修道院と言われていて、フランスに数多くある修道院の中でも、最も有名で壮大な修道院です。

「モン・サン・ミシェルとその湾」の歴史は、708年に遡ります。この時、アヴランシュの司教だったオベールの夢に、大天使ミカエル(フランス語で「サン・ミシェル」)が現れ、オベールに「岩山に聖堂を建てよ」と命じました。しかし、当初オベールは夢の内容を信じることはありませんでした。聖堂建立を決意したのは、ミカエルが3度目に夢に出てきた時です。その時のミカエルはオベールの額に触り、聖堂建立を強く命じました。その額の感触が本物であると信じたことで、聖堂建設を決意したのです。そして、実際に聖堂を建立すると、陸続きだったモン・サン・ミシェルの地が一夜にして海で囲まれ、孤島になってしまったといわれています。その話より「天使が舞い降りた土地」として、それ以降モン・サン・ミシェルはキリスト教の聖地になったのです。

966年には、聖堂の大造営が行われ、その時に、オールが建てた小聖堂の上に「ノートルダム・スー・テール聖堂」が建立されました。1212年~1228年には、修道院の居住スペース「ラ・メルヴェイユ」が建立され、それ以降、モン・サン・ミシェルは増築と倒壊を繰り返しながら、徐々に上へと伸びていきました。

修道院が最初に危機的状態に陥ったのは、14世紀のことです。この時、フランスと英国の間で百年戦争が勃発し、修道院「モン・サン・ミシェル」は城塞として利用されました。そして、その頃から修道院として機能し続けることが困難になり、16世紀に一度修道院として復活を遂げたものの、18世紀終わりのフランス革命では監獄に転用され、1863年までそこは「海のバスティーユ」と呼ばれるほど恐れられることになりました。このように、14世紀から18世紀終わりまで、修道士たちはモン・サン・ミシェルでのささやかな生活を諦めざるを得ない状況を余儀なくされました。1879年には、フランス本土から堤防づたいに島に渡れるようになりましたが、モン・サン・ミシェルに本格的に修道士が戻ってきたのは、20世紀に入ってからのことです。

現存する修道院「モン・サン・ミシェル」は、15~16世紀に再建された、ゴシック様式のものです。そして、700年代からの増改築と倒壊の歴史の末、「モン・サン・ミシェル」は、3つの階層からなる、ピラミッド型の複雑なものになりました。「モン・サン・ミシェルとその湾」は、まさにキリスト教巡礼者のための島であり、最上階まで登るのにも長く複雑な階段を、時間をかけて登らなくてはなりません。それでも、聖なる「モン・サン・ミシェルとその湾」は、キリスト教徒たちにとってかけがいのない場所であり、現在も毎年多くの巡礼者がここを訪れます。また世界遺産に登録されたことで、観光客も押し寄せてくるスポットになりました。

島全体がキリスト教世界であり、修道院や数多くの礼拝堂・聖堂を備えた「モン・サン・ミシェルとその湾」は、一説によると、フランスの中でも最も観光客の数が多い場所といわれています。

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