フランス世界遺産

ストラスブールの グラン・ディルとノイシュタット - (1)

フランス・アルザス地方の最東端、ドイツとの国境付近に、「ストラスブール」という町があります。中世にはヨーロッパの交通の要所なり、貿易でも栄えた町です。この町の中で、旧市街地に当たる「グランディル」は、「ストラスブールのグランディル」という名称で、1988年に世界遺産に登録されました。それでは、「ストラスブールのグランディル」とは、一体どんなところなのでしょうか。

ストラスブールの起源は、紀元前12年に遡ります。この頃に、ローマ軍がストラスブールを駐屯地にしたことから、町の歴史は始まりました。本格的な繁栄の時代を迎えたのは、中世のことです。ストラスブールは、パリと東ヨーロッパを結ぶ中間地点に位置し、交通の要所として非常に重要になりました。そもそも「ストラスブール」というのは、「道の町」を意味する言葉なのです。そしてその言葉通りに、ストラスブールでは様々な国の人々が往来し、そして貿易産業も盛んになりました。貿易の地として繁栄した理由は、陸上での利便性だけが理由になったのではありません。ストラスブールにある「グランディル」は、「イル川」が二股に分かれてできたその間の区域のことです。そして、2本のイル川は、グランディルを過ぎると、再び1本の川を形成するのですが、この「川に囲まれた地」という点は、船による物資輸送に大変好都合でした。つまり、「ストラスブールのグランディル」は、陸上だけでなく、船による交通の便も大変よかったのです。こうして、ストラスブールは様々な輸送手段を有する地として、繁栄の時代を築くことになりました。

但し、ストラスブールの立地条件は、多くの戦乱に巻き込まれる一因にもなりました。特に、ドイツとフランスがストラスブールを巡って激しく争い、ストラスブールは、ドイツになったりフランスになったりと、何回か帰属先が変わることを余儀なくされたのです。中世以前には、ここにローマも加わっていました。しかし、戦乱に巻き込まれるのは、第二次世界大戦が最後になります。1940年、ストラスブールにドイツ軍が侵攻し、ストラスブールはドイツ領になりました。しかしその僅か4年後には、連合軍がストラスブールの地を奪回し、フランスに帰属することになったのです。そして終戦以降、ストラスブールはフランスの一都市になっています。

フランス軍とドイツ軍の間でストラスブールは翻弄される運命を余儀なくされましたが、そのおかげで、ストラスブールでは、フランスとドイツの文化が融合し、独自の文化を形成するようになりました。現在でも、ストラスブールの地は、生粋のフランスの町ではなく、仏独の文化が融合した特色のある町として、人々に認識されています。

それでは、フランスとドイツの2国間で培われた「ストラスブールのグランディル」には、どのような世界遺産が待っているのでしょうか。次にそれを見ていきたいと思います。

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