フランス世界遺産

サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産

フランス東部、スイスと国境を接するフランシュ=コンテ地方には、かつて王立製塩所がありました。現在は廃業していますが、この製塩所は、「アル=ケ=スナンの王立製塩所」という名称で、1981年に世界遺産に登録されました。更に、アル=ケ=スナンの王立製塩所に塩水を送っていた施設、「サラン=レ=バンの大製塩所」が2009年に追加で世界遺産登録がされ、2つの施設を合わせて「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所」という世界遺産登録名になりました。

「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所」は、20世紀の工業都市の先駆けと言われる施設群が現在も残り、聖堂や宮殿といった世界遺産とは一線を画す、異色の存在感を放っています。

フランスでは、古くから製塩が盛んで、貿易でも塩は重要な輸出品として扱われていました。製塩の施設は国政を左右するものでもあり、フランス王室が統括していました。フランシュ=コンテ地方には岩塩の鉱脈があり、そこから大量の塩が取れたことから、古くからフランシュ=コンテ地方では製塩業が盛んに行われていました。製塩方法は、まず井戸から塩水を汲み上げ、ボイラーで沸騰させて塩を精製する、というものです。しかし、ボイラーの燃料になる薪の調達のため近隣の森林伐採が進んでしまい、近場では薪の入手がだんだん難しくなり、それに伴って遠くから薪を送ってもらうようにしましたが、今度は輸送コストが莫大なものになってしまい、製塩所は危機的状態になりました。そこで、新しいタイプの製塩施設が必要になったのです。

1775年、フランス国王ルイ16世は、建築家クロード・ニコラ・ルドゥに新しい製塩所建設の計画を命じました。それが、後の「アル=ケ=スナンの王立製塩所」です。ルドゥは、アル=ケ=スナンから21m離れたところにあるサラン=レ=バンの大製塩所から塩水を送ってもらうために、これら2つの製塩所を結ぶ木製のパイプラインを整備し、サラン=レ=バンから塩水を送る経路を築き上げました。更に、ルドゥは壮大な計画を実行しようとしていました。それは、アル=ケ=スナンの製塩所を中心にした街造りです。アル=ケ=スナンの製塩所のある地域に、製塩所を中心にした円形状の街造りをすることを目指し、そのうちの半円には従業員の作業所や宿泊施設などを設け、もう1つの半円には、銀行、浴場、聖堂その他娯楽施設などを建設する計画を立てました。しかし、銀行などを配置する半円は、資金難など多くの困難に見舞われ、結局未完成に終わりました。従業員施設部分の半円はほぼ完成し、現在までその姿を残しています。

1895年に、近代化に伴い、アル=ケ=スナンの王立製塩所は廃業を余儀なくされました。その後は県の財産になっています。アル=ケ=スナンに塩水を送り続けていたサラン=レ=バンの大製塩所も20世紀初めには閉鎖され、現在は文化博物館の施設の一部に組み込まれています。

建築家であったルドゥは、アル=ケ=スナン及びサラン=レ=バンの製塩施設を、単に「塩を精製するための施設」というだけでなく、製塩所を実用ベースにしつつも適度にアクセントを添え、外観を美しく仕上げた芸術的な施設にしました。

フランスの古城めぐりや聖堂めぐりは、もはや世界の人々の中では定番化していますが、壮大で美しい製塩所を訪ねてみる、という旅行は、視点が新しく個性的で、ユニークな旅になるに違いありません。

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