フランス世界遺産

フォンテーヌブローの宮殿と庭園 (2)

フランソワ1世によって「芸術の集大成」としてのフォンテーヌブローの宮殿が誕生して以来、歴代のフランス王家はフォンテーヌブローの地を愛し続け、増改築を繰り返してきましたが、1789年のフランス革命により、フォンテーヌブローは一気に転落の道を辿る危機に直面しました。革命によりフランス各地の教会やその他の建築物は被害に遭い、フォンテーヌブローの宮殿と庭園も荒廃していきました。

自由を手にしたフランス国民は、王家が二度と富や権力を持たないように、フォンテーヌブローの宮殿に収められていた家具や調度品を全て売り払いました。宮殿は空っぽになり、王家の華やかな歴史と宮廷文化は、すぐに忘れ去られるであろう存在になったのです。

しかし、結局、この宮殿の魅力とそれを囲む森の美しさに、誰も逆らえなかったのでしょう。フランス革命から10年後、今度はナポレオン・ボナパルトによって帝政時代が始まりましたが、ナポレオンもまた、フォンテーヌブローの宮殿にすっかり魅了されたのです。特にナポレオンは、フォンテーブローヌの宮殿を「権威の証」とし、再び宮殿に息を吹き込みました。

ナポレオンもまた、宮殿増改築に積極的に関わった人物の一人です。コルシカ島の貧しい貴族の家庭で生まれた彼は、フォンテーヌブローの宮殿と庭園を、自分の意のままにしようと試み、その時代には「ナポレオンの寝室」「ナポレオン1世の格子門」などが新たに設けられ、元々国王の寝室があった場所を、金箔の施された「玉座の間」に改修しました。現在私たちが目にする「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、ナポレオンの時代に増改築された姿です。
しかし、ナポレオンの時代は長く続きませんでした。1804年に帝位に就いたナポレオンは僅か10年で失脚し、フォンテーヌブローをあとにすることになったのです。その後はナポレオン3世がフォンテーヌブローの地を引き継ぎ、フランス第二帝政の時代を築いていきますが、フランスの帝政時代は1870年に幕を閉じます。そして、フォンテーヌブローの増改築の歴史にも、幕が下ろされたのです。

現在はフランス文化省の機関によって保護され、改修の必要となった絵画や建築物は、修復士たちによる丁寧な修復作業がされています。そして、1981年に世界遺産に認定され、「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、現在でも人々を魅了する場所として輝き続けています。

世界遺産にまでなっているのですから、世界中から観光客が押し寄せるのは言うまでもありません。しかし、フォンテーヌブローはフランスの首都・パリに近いことから、週末になると、平日の疲れから解放され、癒されるために、多くのパリ市民がこの庭園を訪れるといいます。「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、世界中の人々を魅了する芸術の集大成であるだけでなく、フランス市民にとっても必要な場所なのです。そんな、フランス国内外から人々が訪れる、壮大なフォンテーヌブローの歴史を、一度生で味わってみてはいかがでしょうか。

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