フランス世界遺産

フォンテーヌブローの宮殿と庭園 (1)

「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、フランソワ1世(1494~1547年)以降の歴代フランス王が愛した場所で、宮殿はフランス最大規模のものになります。この「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、1981年に世界遺産に登録されました。

フォンテーヌブローの宮殿は、歴代王家の人々が滞在する場所として利用されただけでなく、その場所は王家の権威の象徴としての役割も果たしてきました。また、フォンテーヌブローの庭園(「森」ともいう)は、王家の人々が狩りを楽しんだ、かつての狩猟の場所として有名で、昔はこの庭園に王家の人々が狩猟の館を構えていました。「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」には、フランスの宮廷文化が凝縮されていて、フランスの世界遺産の中でも最大のハイライトといえます。

フォンテーヌブローの地は、12世紀には既に王家の領土になっていました。そして狩猟の館やフォンテーヌブロー城などがありましたが、この地を本格的に改修・拡張したのは、当時のフランス国王、フランソワ1世(在位:1515~1547年)です。フランソワ1世は「芸術家の庇護者」として知られ、ルネサンス芸術に魅了された人物です。イタリアでルネサンス芸術の花が開いている頃、フランスはまだ、芸術大国というには程遠い存在でした。

そこでフランソワ1世は、フランスを「芸術の地」として確立するために、フォンテーヌブローに多くのイタリア人芸術家を招き、1528年に宮殿建築計画に取り掛かります。全体の設計を担当したのは、建築家のジル・ル・ブルトンです。フランス国王の招聘により集まってきたイタリア人芸術家・建築家は、国王の思い描いた夢の宮殿を、見事に実現しました。外観・内装共に、基本はルネサンス様式なのですが、イタリア人芸術家が本来持つルネサンス芸術のセンスと、フランス人が好む優雅さや官能の世界を見事に融合させ、ひときわ洗練された空間を造り上げたのです。

フランソワ1世が精力的にイタリア芸術家を庇護し、それに応えるようにイタリア人芸術家たちは素晴らしい作品を制作し続けました。フォンテーヌブローの宮殿には、フランソワ1世の名前を冠した「フランソワ1世の回廊」が芸術家たちによって作られ、そこは、絵画と化粧漆喰が交互に並ぶ、見事な空間になっています。また、フランソワ1世が居住していた棟も現在まで残っていて、「楕円の中庭」に沿うようにして、青い屋根の美しい棟が並んでいます。

「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、フランソワ1世後も、その高い芸術性と宮殿を取り囲むフォンテーヌブローの森に憩いを求めた王家の人々によって保護され、愛され続けていました。後のルイ13世はここで生まれ、ルイ14世は、狩りのシーズンである9~11月は毎年ここに居住しました。ルイ16世は、妻マリー・アントワネットのために、3連の部屋(遊戯室、私室、寝室)を増改築し、フランスの宮廷文化を牽引していきました。(フォンテーヌブローの宮殿と庭園(2)へつづく)

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