フランス世界遺産

ブールジュ大聖堂

フランスのほぼ中央に位置するサントル地方の町・ブールジュは、14~15世紀に芸術都市として非常に栄えた町です。そして、このブールジュには、ゴシック建築の傑作で、聖人エティエンヌに捧げられた「サン・エティエンヌ大聖堂」があります。この「サン・エティエンヌ大聖堂」は、「ブールジュ大聖堂」として、1992年に、世界遺産に登録されました。

フランスには多くのゴシック様式の大聖堂がありますが、ブールジュ大聖堂はその中でもひときわ個性的な聖堂として知られています。また世界遺産として評価されたのが遅すぎなのでは、と言われていたようですが、確かにブールジュ大聖堂は、フランスの代表的ゴシック大聖堂、ランスの大聖堂やパリのノートルダム大聖堂に引けを取らないほどの立派で壮大な造りです。

ブールジュ大聖堂には、波乱に満ちた歴史があります。現・ブールジュ大聖堂の前身となった聖堂は、3世紀頃に建てられました。その後11世紀に、ロマネスク様式で、大聖堂へと変貌を遂げたのですが、12世紀にまた改築工事が行われ、今度はゴシック様式の大聖堂に生まれ変わりました。当時のブールジュは、フランス王家領土の最南端にあり、現在の南仏はフランスには組み込まれていませんでした。ですから、当時のフランス王は、国境と接した町にある聖堂は、他国にその存在感を見せ付けるための壮大なものでなくてはならない、と考えたのです。こうして、フランス国王、またフランス大司教の威信をかけた大工事が進められることになりました。改築されたブールジュ大聖堂が完成したのは、1285年のことです。しかし、この改築工事は、後に様々な問題を起こすことになります。

14世紀初頭に、まず工事の不備が露呈し、南塔が傾いてしまいました。このため、塔の脇を大きな壁で補強する工事が行われました。しかし1506年に、今度は北塔が崩壊し、その当時流行っていたルネサンス様式で、改修工事が行われたのです。こうして南北の塔は修繕・改築によって何とか保たれましたが、1562年の宗教戦争で、ブールジュ大聖堂の正面と内陣が破壊されてしまいました。結局、ブールジュ大聖堂は、何度修復しても、初期工事での不備や戦争によって、改築が余儀なくされる運命を辿ることになったのです。戦争によって破壊された部分を修復し始めたのは、19世紀に入ってからのことです。しかし、ゴシック様式の大建築としてスタートしたブールジュ大聖堂は、度重なる修繕・改築により、徐々にその整った外観は失われ、最終的には見た目が非常にアンバランスなものになりました。

しかし、そのアンバランスな外観こそがこの大聖堂の新たな魅力となり、波乱に満ちた歴史が至るところで見られるこの大聖堂は、フランスの大聖堂の中でも圧倒的な個性を持ち、観光客の目をひきつけることになりました。

ブールジュ大聖堂は、基本的にはゴシック建築ですが、随所にロマネスクやルネサンス様式が見られる不思議な大聖堂です。その外観の全貌は、時間をかけて見たいものです。ブールジュ大聖堂の玄関に当たる正面入口の中央には、「最後の審判」の彫刻群があり、この彫刻群は、「ゴシック芸術の傑作」と言われているものです。またブールジュ大聖堂は、ステンドグラスの美しさでも知られており、聖歌隊席上部の「受胎告知」や周歩廊の「最後の審判」のステンドグラスは特に有名です。フレスコ画も多く残っているので、聖堂内も時間をかけて見て回りたいものです。

フランスの大聖堂はどれも日本の教会とは規模が桁違いに大きく、圧倒的な存在感があります。その中でも、時代によって建築様式が異なる、ある意味「不完全な」外観を持つブールジュ大聖堂は、特にユニークで人を惹きつけてやまないに違いありません。

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