フランス世界遺産
ヴェズレーの教会と丘
「ヴェズレーの教会と丘」は、フランス・ブルゴーニュ地方の村ヴェズレーにある、ロマネスク様式の「サント・マドレーヌ教会」と、その教会が建つ丘のことです。この物件は、1979年に、世界遺産に登録されました。

「ヴェズレーの教会と丘」はまた、世界遺産として登録されている物件「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の始点にもなっていて、キリスト教巡礼地として非常に名高いところです。ヴェズレーは「フランスで最も美しい村」と呼ばれていることから、キリスト教徒に限らず、観光客の間でもその名が知られています。
ヴェズレーの「サント・マドレーヌ教会」は、波乱に満ちた歴史を歩んできた教会です。861年に、ベネディクト会の修道士が、ヴェズレーの地にカロリング様式の教会(後のサント・マドレーヌ教会)を建立したのが始まりです。その後、ノルマン人の侵略により一度破壊され、1138年に教会はロマネスク様式で再建されました。この時には規模が大幅に拡張され、身廊の幅12m、長さ64m、高さ18mという広大なものになりました。
この改修の時に拡張された背景には、1096年に、ヴェズレーの地に修道士が「マグダラのマリア」(フランス語で「サント・マドレーヌ」)の聖遺物を持ち帰ったことがあります。このことで、ヴェズレーには巡礼者が大挙で押し寄せてきて、ヴェズレーは有名な巡礼地になりました。ですから、その場所に相応しい、壮大で美しい教会が必要になったのです。
こうして、ロマネスク様式で見事に再現されたサント・マドレーヌ教会ですが、1279年に、持ち帰ったとされていた「マグダラのマリア」の聖遺物がプロヴァンスで発見され、フランス国王や当時の教皇らを巻き込んで、大きな争いになりました。この時を境に、ヴェズレーは衰退期に入り、また宗教改革やフランス革命などの戦乱もあり、巡礼者が途絶えることになります。ヴェズレーの地は、このように、幾度となく困難な時期を過ごさなければならず、その波乱の歴史は861年以降、19世紀まで続きました。
荒廃した「サント・マドレーヌ教会」の再建が計画されたのは、1840年のことです。この時、作家プロスペル・メリメにより修復計画が進行し、1876年には完全に再建されました。その後1912年には再び巡礼の地として人が集まるようになり、現在に至ります。
多くの困難に遭っても度々再建され、現在は世界遺産として国から保護を受けるまでになった「ヴェズレーの教会と丘」には、そんな歴史の重みを感じさせる空気が漂っています。教会の中でも、玄関廊にある石刻群「使徒に使命を与えるキリスト」は、12世紀からキリスト教徒の心の拠り所になってきて、「ロマネスク美術の傑作」と言われています。十字軍遠征の時には、人々がこの彫刻群の元に集結し、拠点となったことから、キリスト教徒にとっていかに「使徒に使命を与えるキリスト」の姿が大切なものであったかが想像できると思います。
破壊と修復の繰り返しという多くの困難を経て、今尚、建立当時の面影を残すこのロマネスク様式の教会とそれを支える丘、「ヴェズレーの教会と丘」は、その美しい村の景色に心が癒される場所であると共に、キリスト教が歩んだ壮大な歴史を体感できる場所といえるでしょう。