中国世界遺産

高句麗前期の都城と古墳

中国は世界遺産大国です。そして、その中の一つに挙げられる「高句麗前期の都城と古墳」は、2004年に世界遺産に登録されました。高句麗は、紀元前後の時期に、中国から朝鮮半島一帯を支配する大国でしたが、高句麗が滅亡したのは、都が現北朝鮮の首都・平壌の時でした。

ですから、高句麗の世界遺産に登録された部分は、実は中国と北朝鮮に分かれていて、「高句麗前期の都城と古墳」は中国、「後期の古墳群」は北朝鮮という別々の国で登録されています。このような、国をまたぐ世界遺産の登録のされ方は、世界的に見ても、数えるほどの例しかないでしょう(例:ピレネー山脈にある「モン・ペルデュ」は、フランスとスペインで世界遺産登録がされている)。因みに北朝鮮では、この「高句麗後期の古墳群」が、国として初めて認定された世界遺産です。

さて、話を中国部分「前期の都城と古墳」に戻しましょう。まず高句麗が建国されたのは、紀元前37年頃と言われています。建国したのは、王族の朱蒙(中国読み:チュムン)です。朱蒙が紀元前37年に「高句麗」を建国し、都を五女山城としました。

その後、紀元後3年に丸都山に遷都、更に山から下りてきて、国内城を構えましたが、「丸都山城」として世界遺産登録がされたのは、この国内城のある山のふもとから山城に至る一帯全てです。

高句麗はその後平壌に遷都しているので、「高句麗前期の都城」といわれるのは、建国時の五女山城と丸都山城、そして、国内城ということになります。

一方、高句麗の世界遺産に登録された古墳は、高句麗王族と将軍塚古墳で合計14基、高句麗貴族の古墳26基で、合計40基です。その中には、長寿王のものと思われる古墳もあります。

長寿王は、紀元前後という時代に、何と98歳という寿命をもって死去したことから、そのような呼び名になったといわれています。そして、長寿であるだけでなく、413年に第20代高句麗王に即位してから、物凄い勢いで朝鮮半島にまで領土を拡大させたので、「高句麗全盛期を築いた王」としても知られています。

長寿王が没した場所について、実は具体的な記述は残されておりません。ただ、世界遺産に登録されている古墳の一つが、「長寿王の古墳」とされていますが、それは、諸々の調査により、その可能性が高い、ということであると推測されます。

世界遺産の中国側で登録されている「高句麗前期の都城と古墳」の面積は、都城の遺跡3箇所と古墳40基からなる合計4,165ヘクタールです。東京ドームが約4.7ヘクタールですから、その1000個分弱の敷地ということになります。中国の部分だけを見ても、いかにこの世界遺産が広大なものであるかが、おわかりいただけることでしょう。

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