中国世界遺産

頤和園

「頤和園」は、北京市から西へ15kmのところにある、中国の歴代皇帝が避暑地として利用した大庭園です。1998年に、世界遺産として登録されました。その庭園の規模は290万km2にもなり、園内には数々の山や建築物があります。

「頤和園」の起源は1153年にあり、金王朝第4代皇帝・海陵王がこの地に行宮(皇帝が一時的に身を寄せる場所)を造ったのが始まりです。その当時は、「頤和園」ではなく「清漪園」と命名されていました。清漪園が皇室御用達の避暑地として定着したのは、明第11代皇帝・正徳帝の時です。清漪園にはやがて多くの建物が建立され、1494年には弘治帝の乳母・助聖夫人羅が円静寺を建立、そして清代に入ると、乾隆帝が大改修を行い、多くの施設が造営されました。

このように、12世紀から庭園には様々な施設が造られ、敷地内は中国皇室の繁栄を象徴するかのように豪華になっていきましたが、その庭園には苦難の歴史もありました。実は1860年のアヘン戦争の際に、英仏連合軍によって、清漪園は破壊されたのです。しかし、歴代の中国皇室が清漪園に思いを馳せてきた伝統は受け継がれ、破壊された後、乾隆帝は3千万両もの費用をかけて、清漪園の復興再建を行いました。その過程にあった1888年に、庭園の名称が「清漪園」から現在の「頤和園」になり、20世紀を間近に控える1895年に完全復興を果たしたのです。

しかし、政権が崩壊する度に、中国大陸の要都市である北京ではあちこちで戦争による破壊的行為があり、名前が「頤和園」になってからも、戦争による被害から逃れることができませんでした。1911年には清が崩壊し、一時、清最後の皇帝・溥儀の私用地になったものの、その後中国政府に所有権が移りました。「頤和園」では相変わらず、改修・修繕が繰り返し行われることになりました。

「頤和園」が公園として整備されたのは、1953年のことです。それ以降は、戦争により敷地が破壊されることなく、現在に至ります。「頤和園」は、中国歴代皇帝とその一族の、心の癒し場所であったに違いありません。そして、その愛着によって、何度破壊されても復興を果たしてきました。そんな中国の受難の歴史を持つ「頤和園」が世界遺産に認定されるのは、当然の流れだったと言えるでしょう。

現在の頤和園は、世界遺産に登録されてから観光客も増え、観光名所としての繁栄を遂げています。清代の古い街並みを復元した「蘇州街」、西太后が政務を行っていた仁寿殿、万寿山山頂にある仏香閣、そしてそこから眺める昆明湖の美しい景色など、見どころに溢れています。古くから中国の高貴な人々が愛した場所に行き、そこにある建物や湖を眺めると、それだけで、華やかな気分になれそうです。

国でさがす
イタリア
スペイン
中国
フランス
ドイツ
メキシコ
イギリス
インド
ロシア
アメリカ
オーストラリア
ブラジル
ギリシャ
日本
カナダ
スウェーデン
イラン
ポルトガル
ポーランド
チェコ
ベルギー
トルコ
オーストリア
ペルー
スイス
韓国
オランダ
ブルガリア
エチオピア
キューバ
アルゼンチン
クロアチア
ノルウェー
フィンランド
ルーマニア
ハンガリー
チュニジア
南アフリカ
モロッコ
スリランカ
アルジェリア
エジプト
タンザニア
インドネシア
ベトナム
コロンビア
オセアニア
南米
中米
西・中央アジア
東南アジア
中東諸国
アフリカ
旧ユーゴ
バルト三国
旧ソ連地域
中央ヨーロッパ
北欧
知られざる小国