中国世界遺産

マカオ歴史地区

マカオは、1999年に中国に返還された旧ポルトガル領で、現在は中国特別行政区という位置づけになっています。同じく特別行政区には、旧イギリス領の香港がありますが、マカオは香港と比べて面積が非常に小さく、香港の約1/40程度です。しかし、ここには中世の東洋と西洋の交易から生まれた文化が多く残っており、マカオ市内にある22の建造物、そして8箇所の広場が「マカオ歴史地区」として、2005年に世界遺産として認定されました。

更に、この世界遺産登録により、中国は、世界遺産保有数で、世界トップ3に入りました。そういう意味で、中国にとってこの世界遺産登録は、とても意味のあるものであったことでしょう。

中国の地・マカオにポルトガル人が初めて訪れたのは、1513年のことです。そして、「黄金の国ジパング=日本」と主に銀の貿易を行う拠点として、マカオではポルトガル人の入植が始まりました。そして貿易産業が栄えると、1553年、ついに中国はポルトガル人のマカオ居住を許可するようになったのです。こうして、東洋と西洋の交易の中継地点として、マカオの発展は始まりました。それと同時に、多くのキリスト教宣教師がマカオを拠点にして、アジアでの布教活動を開始しました。このことは、実は日本のキリシタンにとって、非常に重要な出来事になりました。日本では、キリシタンが迫害されていたからです。迫害されたキリシタンの多くがマカオに逃れ、そこで教会や聖堂の建築に携わったといわれています。マカオは中国の人々だけでなく、日本人にとっても、最も身近な「西洋世界」だったのです。

マカオは、1887年、正式にポルトガルの統治下に入りました。それ以降、約100年かけて、マカオにおける西洋色は、益々強くなりました。しかしそれは、ただ旧中国文化を破壊して西洋文化を浸透させるのではなく、中国文化と西洋文化の見事な融合を果たす時期になりました。こうしてマカオには、東洋とも西洋とも言い切れない独特の文化が根付き、その史跡も大切に保存してきた経緯が高く評価され、世界遺産認定にまで至ったのです。

それまでの道のりは、単に古建築を再利用していたという簡単なものではありませんでした。例えば、マカオで最も象徴的とされる「聖ポール天主堂跡」は、その老朽化により取り壊される危機にありました。そこで、1990年に、慌てて学者たちが遺跡発掘に乗り出したのです。その結果、地下納骨堂、日本人キリシタンや宣教師らの遺骨、宗教遺物など、多くの史跡を発見するに至りました。このようにして、取り壊しを何とか逃れてきた歴史もあったのです。そして、世界遺産に登録された現在では、ユネスコに正式に指定された建築物や広場をはじめとした街並み保存を優先し、多くの観光客を惹きつけています。マカオは「マカオ歴史地区」として世界遺産に認定されましたが、結局のところ、マカオという地そのものが「歴史地区」であり、マカオそのものが世界遺産なのです。

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