中国世界遺産

龍門石窟

「龍門石窟」は、中国河南省洛陽市南方にある石窟寺院群で、黄河の支流・伊河の両岸に築かれています。この石窟群は、2000年に世界遺産として登録されました。「龍門石窟」は、中国三大石窟の一つに数えられており、そのほかには、雲崗石窟(大同市)と莫高屈(敦煌)が中国三大石窟として挙げられ、これら全てが世界遺産に登録されています。

この中で、龍門石窟のある洛陽市と雲崗石窟のある大同市は、その石窟が築かれた時代や地理・政治の関連が深く、しばしばこの2都市とそこにある石窟は、互いに比較対象になっています。尚、「龍門石窟」は、中国の重要文化財にも指定されています。

龍門石窟が開屈されたのは、北魏時代(386~534年)のことです。北魏の皇帝、孝文帝が大同から洛陽に遷都し、洛陽の開拓が始まりました。孝文帝はまた非常に仏教に傾倒しており、494年から石窟内の仏像制作を始めました。龍門石窟では、当初は私的な仏像や石窟を彫ることがメインになっていましたが、開屈作業と仏像制作がその後約400年、唐代初期まで続くことになりました。その間に時代は変わり、皇帝の要望も変わり、大小様々な石窟と仏像群が出来上がることになったのです。その数は、石窟が約2,100、仏像が10万体以上にもなるといわれています。そして、このうちの3割が北魏の時代に造られ、残りの7割が、それ以降から唐代に入るまでに造られたと言われています。このような大規模な石窟群は、遠くから見渡してみると、まるで穴ぼこだらけの岩山、といった感じです。

龍門石窟が彫られた地帯の石質は、カンラン石です。実は、この石質こそ石窟及び仏像制作には重要な要素になるわけですが、カンラン石は非常に硬く、彫る作業には向いていません。雲崗石窟の花崗岩は柔らかくあらゆる造形物を彫り上げ、大仏制作にも適していましたが、龍門ではそれが非常に難しく、そのため石窟を彫る以外は、小さな仏像を大量に造ることが精一杯でした。

但し、石刻技術が最も栄えた600年代後半には、大仏も造られました。その大仏は、「奉先寺洞」にある、「廬舎那仏」です。廬舎那仏の高さは17.14mもあり、これは雲崗石窟最大の仏像の16.8mを上回ります。廬舎那仏は、かつては武則天の容姿をモチーフにしたといわれていましたが、その後の研究結果で、その説は否定され、誰がモチーフになっているのかははっきりしていません。ただ、廬舎那仏、そしてそれがある奉先寺洞は、龍門石窟の中でも最も規模が大きいことは間違いなく、一番多くの観光客をひきつけています。奉先寺洞は、伊河から眺めることができ、船に乗られて洞窟全体を見渡すというのが最高に気分がよく、観光客に愛されているアトラクションになっています。

近現代に入り、中国では文化大革命(1966~1976年)が起きました。この時に仏教は否定され、龍門石窟の多くの仏像も破壊されました。しかし幸いなことに、奉先寺洞周辺には被害がなく、現在でも大仏や仏像の数々を拝みに行くことができます。「穴だらけ」の岩山を眺め、そこに近づいて今度は仏像群の中に身を置く、龍門石窟では、そんなユニークな体験ができそうです。

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